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承認されたい。だから危ないセックスも受け入れた ドラッグ イチロウさん(40代前半 ゲイ)

いまが気持ちよければ。後のことは考えたくない。嫌われたくない。よく思われたい。そうした欲求が重なった結果、覚せい剤にまで手を出し、逮捕されても苦しみ続けたイチロウさん。クスリを使わずにはいられない状態にはまり込む土壌は、すでに自分自身の生き方のなかで育まれていた。その泥沼からどうして這い上がることができたのか。

いまさえ楽しければそれでいい

高校生のときはゲイ雑誌を買うくらいでしたが、大学に入ってから一気に遊び出しました。雑誌に大学のゲイサークル募集が掲載されていて、そこで知り合った人との関係でクラブによく行くようになりました。

ハッテン場(男性同士で性交渉する場を提供するお店など)にも通いました。売り専もやっていましたね。たぶん、雑誌の後ろの広告を見て、高収入が手軽にもらえるからと気軽に始めたんだと思います。仕事はセーファーセックスでした。

HIV陽性だとわかったのは社会人になってからです。医者から「この病気は死ぬ病気ではなくて、薬さえ飲めばコントロールできるから」と言われたこともあって、あまり重く捉えなかった。もともと、生きていると直面する問題に深く向き合おうとせず、いまさえ楽しければ、気持ちよければそれでいいって考えるような、良くも悪くも楽観的な性格なんです。

それから、人の評価、人の目をすごく気にしていましたね。承認欲求が強くて、人に否定されるのをおそれて。八方美人に振舞って嘘をついたり、体を鍛えたり。自分のダメな部分を一切見せたくない。拒絶されたくないっていう気持ちが、クスリを拒まなかった自分にもつながるかもしれません。

ラッシュからゴメオ、そして覚せい剤へ

クスリの入り口は、まだ合法だった頃の「ラッシュ」(2006年に指定薬物となった亜硝酸エステル類のドラッグ)だと思います。ハッテン場で相手が持っていたものを吸ったのが最初。そのあと「ゴメオ」(5MEO-DIPT、2005年に麻薬指定されたトリプタミン系化学物質)が出始めて、ネットで大量にまとめ買いしていた時期もありました。

クスリに対する抵抗感はそんなになかったです。これをやったら自分の人生どうなるだろうとか考えずに生きていました。

覚せい剤を始めたのは20代半ばだったと思います。当時のセックスフレンドが用意していて、「あぶり」という方法で使って。まあ気持ちよかった。そのときは覚せい剤とは知らなかったし、どこに行けば手に入るかもわかりませんでした。そのあと付き合った人もドラッグをやっている人で、この時は「注射」だった。「あぶり」とは効きが全然違っていて、それで一気にハマっていきました。

忘れられないし、仕事をしている間もクスリのことを思い出しました。ネットでそれを持っている人を探すようになって、ついに売人を紹介してもらいました。そうなるともうダメですね。もともと金遣いが荒く、貯金もせずに好きなことに使いまくっていましたが、そのお金が全部クスリにいくようになりました。その頃から、薬のせいか生き方のせいか、仕事が長続きしなくなりました。最初は正社員だったのが、契約になり派遣になりと不安定化していく。会社を辞めても次の仕事が決まっていない状態になって、借金が一気に増えました。

やがて、無職でクスリを使い続けるだけの毎日になりました。家のお金を盗んだり、家族や友人から適当な理由をつけて借りたりして、クスリ代を工面していたような気がします。とにかくいろんな手を使って薬を手に入れていた。

逮捕

ぼくが逮捕されるまでの3年間は引きこもりで、親も不審に思っていました。朝起こしにくるとドアが開かない。鬱っぽい、具合が悪いからほっといてくれ、とやり過ごしていました。でも、踏み込んだり病院に連れ出したりということはしてこなかった。何をしてくるかわからない、どうすればいいかわからない、という感じだったのではと思います。自分自身、今日が何月何日何曜日なのかわからない、暗黒時代の3年でした。

そうして迎えた家族の結婚式の前日。そんな日ですら我慢できずにクスリを使ってしまい、式に出られない。親とケンカして家を飛び出し、クスリをやれる人のところに行きました。その人が警察にマークされていたみたいで、30分後くらいに踏み込まれました。

この頃には、クスリを使っても使わなくても苦しかったし、タイミングよく捕まったと思いました。正直ホッとしました。その時捕まらなかったとしても、ほかのことで罪を犯したりして遅かれ早かれ捕まっていたでしょう。

でも、留置所に入れられて3日もすれば体からクスリが抜けて、また使いたくなってくるんです。表向きには依存症のクリニックに通うためという理由で保釈申請を出して、親も保釈金を払ってくれたのですが、実際は一刻も早くクスリを使いたかった。逮捕されたし、なんとかしないといけないとは頭のどこかで思っていても、どうしても手が出てしまう。「使いたいな」というレベルではなくて、使わずにはいられない、使うことしか考えられない。

断薬までの2年半

クリニックに行くこと自体には、安心した気持ちがありました。同じ背景の人もいて、自分のことを隠さなくていいので。見栄を張る必要もなくて、それで孤独が解消された部分があったと思います。またクスリを使っちゃっていることも、HIV陽性者だということも言えた。

その当時もクスリの売人とはつながったままで、「そろそろ買いませんか」と連絡がきていました。お金がないからと言うと、「仕事をしませんか」となって、売人のところに出入りするようになってしまった。向こうの要求はどんどんエスカレートして、お前はもう売人をやれという話にもなった。売人は反社会的勢力ですし、住所とかも知られて脅されるようになりました。自分だけならまだしも、親には危害を加えられたくない、クスリのためにここまできてしまったと思ったら、だんだんクスリに対する気持ちが止みました。

クスリをやりたいという反応が体にはある一方で、使う苦しさを感じる生活から逃れたいという思いで、とにかくクリニックに通い続けました。就労できるようになるまで、2年半かかっています。

クリニックでは、初めて自分の問題に向き合うことができました。それまで、仕事、人間関係、お金、薬物、全部から目を背けてきましたから。「棚卸し」をして自分の過去を振り返ったら、生きる姿勢自体に問題があったことに気づいた。クスリに関わるすべての経験は、たまたま運が悪かったからではなくて、起こるべくして起こったものだったと、いまでは認識しています。

【もしいま同じような境遇の人に相談されたら】

ぼくは、自分自身の生き方のせいで新たな問題をどんどん作り上げていきました。よく思われたいっていう気持ちが強すぎて、人に対して心を閉ざしてきたから、そういう寂しさを埋めるのにクスリを使っていた。そんな感じだと、同じような経験をした年上の人に何かアドバイスされても、ちゃんと聞かなかったかもしれない。だから、まずは自分にきちんと向き合うことが大事なんだと思います。

いまは、いろんな人に自分をさらけ出して相談したりできています。生きるのが楽になりました。もちろん、人に褒められたい、よく思われたいっていう承認欲求はあるけど、昔ほど病的ではないと思います。以前は、人からどう思われているかが生きかたの基準になっていたくらいですから。

逮捕の後も、家族は何も言わずに黙って見守ってくれました。依存症のことは当事者同士でないとわからないこともあります。それでも、ずっとそばで支えてくれる人の存在は大きい。それに気づくことも大切かもしれません。

 
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