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ギャンブルをしてるときだけが〝日常〟って感じ ギャンブル/ドラッグ アッキーさん(30代後半 ゲイ)

自分の中の問題には蓋をして、いつも「いい子」でいないといけない。そのストレスが膨らんでいったとき、アッキーさんの居場所になったのはパチンコ屋だった。周囲に受け入れられる自分の「能力」に高揚し、いまいったい自分はいくら負けているのか、考えられなくなった。身内に迷惑をかけたことを自覚し、死にたいとまで自分を追い詰めても、どうしてもやめられない。そこから、どのように周りとのつながりを回復していけたのか。

いつも笑顔でいなさい

小さい頃から母親に、人に対してはいつも笑顔でいなさいと言われていました。悲しい時にも笑顔でいなくちゃいけないって。なよなよした子どもで、「オカマ」と指さされていじめられたこともあったけど、家に帰ったら何もなかったかのように振舞っていました。家の中ですら自分自身を出せない。内面を落ち着かせるためには何かが必要だった。それが自分の場合は、パチンコだったんでしょうね。

最初に就職したときまで、ずっと実家暮らし。とても田舎だったので、娯楽といえばパチンコにボーリング、カラオケくらいしかありませんでしたが、学生時代に初めて友だちにパチンコ屋へと連れて行かれたときは全く興味をもてなかったんです。むしろ、すごく時間の無駄だと思いました。ギャンブルはするなと育てられてきましたしね。

それから半年はそんな経験自体忘れていましたが、ある日母とケンカして家を飛び出し、行き場がなくてふと思い浮かんだのが、そのパチンコ屋でした。1000円だけ遊ぼうと思ったら、大当たりしてしまって。お店にいたおじいちゃんやおばあちゃんに、すごいねって言われてうれしかった。母に怒られたことなんてすっかり忘れて、「当たりの状態」に没頭していました。それからバイトのない日は通うようになって、周りにも受け入れられている気がして、ここが居場所なんだって感じていました。

そのうち同年代のパチンコ仲間もできて、最初は使っても2万円くらいだったのが、どんどん増えていった。勝った高揚感だけ覚えていて、どれくらいプラスマイナスがあったかは正直はっきりしません。感覚が麻痺していました。そもそも、パチンコにはまっている人って負けた時の話はしないんですよ。勝つと焼肉おごってくれたりして、それがかっこいいなと思うところもありました。お酒やセックスよりも、スロットで当たった時のゾクゾク感の方を味わいたいと、その時は考えていました。

気づいたら橋の上に立っていた

それでいつしか消費者金融で借りるようになって。いつの間にか15万円くらいに膨らんだところで親にバレて、祖父に頭を下げて一緒に返しに行きました。そのときは泣きながら「もうギャンブルはしません」と言ったけど、ショックを受けた母親に家で「なんで借金なんか」と叱られ続けていました。たぶんそのストレスもあったと思いますが、仕事がうまくいかないときとか、もうパチンコのことしか考えられなくなった。それで、またお金を借りて、バレて、返してもらっての繰り返し。最終的には借金が200万円を超えました。

当たり前ですけど、祖父はすっかり呆れていました。そんなに賭け事にハマるのは身を固めていないからだと言われ、お見合いを設定されたりもしました。16歳くらいの時には伝言ダイアルでゲイの人に会ったりし始めていたけど、地方だし、いずれ女性と結婚するとは思っていたんです。でも、街にあるゲイバーに通ったり、職場の男性の上司を好きになってしまったり。どんどん居場所がなくなっていきました。

もうこれ以上おじいちゃんにも迷惑をかけられないとも思いました。それで、気づいたら橋の上に立っていたんです。死のうと思って。でも死ねなかった。そのまま、書き置きもせずに行きつけのバーに身を寄せて、失踪するように家出をしました。途中で母には電話して生きていることを伝え、自己破産申請もしてから、東京で転職することにしました。もう実家には帰れないと思っていましたし、都会への憧れもありましたしね。

心機一転のはずが抜け出せない

本当に身一つで東京に出てきました。母と店のママがはなむけにくれた少しのお金で買い物に出かけたら、そこにパチンコ屋があった。1000円で10万円当たった。そこでやめておけばいいのに、もっと増やせるはず、と。給料が上がったこともあり、毎日のように通うようになりました。

職場でもゲイバーでも、自分が田舎を捨てて逃げてきたなんて言えないので、隠し事ばかりが増えて。そうして心に蓋をしているのが、ふとした瞬間によみがえる。少しでも賑やかなところに行って気を紛らわせたくてパチンコを打ちに行き、その後は相手を見つけてセックス。その繰り返しでした。パチンコで負けた悔しさを晴らすために、セックスで違法なクスリも使い始めました。最初は誘われて、そのうち自分で買うようにもなりました。

しばらくしてパートナーができました。その人はギャンブルをやらない人だったし、一緒に住み始めてから表面上はパチンコをやめたふり。でも、旅行資金を貯めるための共同貯金箱からお金を盗ってパチンコに使ってしまい、パートナーにバレて一時別居したこともありました。そこからなんとか我慢はしていたんです。

そんな折、母親との関係は徐々に改善していたこともあって、家族の結婚式に呼ばれました。でも、自分は田舎をほっぽり出してきた。親戚に悪評が伝わっていて、おじいちゃんにはもう口をききたくないと言われていた。帰省することへのあまりのストレスに、結婚式のご祝儀にすら手を出して、パチンコ屋に行き、クスリも買ってしまいました。あろうことか、クスリを体に入れた状態で結婚式に出たんです。私の様子がおかしいと思ったパートナーが東京の部屋をくまなく調べて、クスリのことがバレました。

つながりを回復する旅

パートナーは、悪いことをした人は自首しましょうと言って、一緒に警察に行ってくれました。入所している間に、彼は依存症の相談所も探してくれた。12ステッププログラム(依存症状につながる自分の問題とその解決策を理解し、行動に移すためのプログラム)も経験しました。泣きながらやめたいと言ったのになぜやめられなかったのか、仲間の話も聞いて、自分の中で説明がついた。そこから薬物依存症の会、ギャンブル依存症の会とつながって、どっちもクリーンになってから7年くらい経ちます。

パートナーはずっと見放しませんでした。施設の人から家族の会を勧められて、いまゲイのパートナーとして行ってくれています。どんなときも離れない人は彼でした。逮捕されるまでは実はそんなに会話しなくなっていたけど、いまではとても感謝しています。

回復のプロセスを歩みだして3年目くらいのとき、一度おじいちゃんに謝りに行きました。孫の顔をみるたびに、「アッキーはどうしているかね」と呟いていたそうです。全額を一気には無理だけどおじいちゃんが払ってくれた借金を少しずつでも返すよ、と言ったら、もういいから、しっかり仕事をして周りに迷惑をかけないように暮らしなさい、って。

もう、地元、実家を避ける必要はなくなりました。

【もしいま同じような境遇の人に相談されたら】

自分に正直になれる場所や人が、そばにあるといいですね。
心の蓋や仮面をはずすのはとても難しい。自分の場合は、ある時から、正直に伝えたいことはそのまま伝えようっていう方向に変わっていきました。自分は人からこうみられているはずだと勝手に思い込んでいましたが、周りの人にきいてみたらそんなに悪く受け取っていなかったっていうこともありました。一晩中悩んでいたようなことでも、他の人に相談すると、そんなに考えなくてもいいことなんだって思えるようになったり。他の人の目が入ることで自分について新しい窓が開くような、そういう感覚です。それまで人に相談できなかった。ずっと笑顔ではいたけれど、内面はぐちゃぐちゃでした。いい人でいないといけないと思っていましたから。

もちろん、仮面が必要な時にはあえてかぶることも大事です。そういうことも、訓練してできるようになりました。

 
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